さとる×jubeat

自分が一番音ゲーが上手いというアイデンティティ

―『jubeat』を始めたきっかけを教えて下さい。

さとる選手 (以下、さとる) : よくあるパターンなのですが、小学校高学年から中学2年生くらいまで『太鼓の達人』で遊んでいました。
中学生の時に、友人たちの間で『jubeat』が流行しはじめ、『jubeat』も『太鼓の達人』と同じ音ゲーで、当時は友人たちの中で『太鼓の達人』が一番上手かったので『jubeat』もやって仲間内の中で一番になろうと思い始めました。

―『jubeat』を始めたバージョンは。

さとる : 『copious』からです。ただ『太鼓の達人』は当初中級者〜上級者くらいの腕前 (「mint tears」の鬼で全良できる程度) だったのに対して、『jubeat』は始めた当初はとても下手でした。当時は「eyes」という楽曲が好きだったのですが、一番良くてS乗るかどうかでした。「IN THE NAME OF LOVE」も好きだったのですが、こっちもギリギリSS乗らないかくらいの実力だったのを覚えています。なので『太鼓の達人』であれば自分の好きな曲を選んで遊べるということもあり、少しだけ遊んだ後暫く『jubeat』をプレイしなくなりました。
ただ、高校入学後の『saucer』の稼働中頃からきっかけがあり『jubeat』を本格的に始めました。
そのきっかけの1つとして、中学校の先輩で『太鼓の達人』が上手いともり氏に憧れており、ともり氏が『太鼓の達人』から『jubeat』に遊ぶ機種を変えていったので、自分も同じように『jubeat』を本格的に始めたのかなと今は思います。
そうして自分も『jubeat』を本格的に始めた後は『jubeat』一筋で遊ぶようになりました。

―当時のプレイスタイルはどのようなものでしたか。

さとる : 好きな曲で遊んでいました。当時は学生だったのでお金が無尽蔵にあるわけでもないので、遊びたくてもお金を入れられないこともあり全曲プレイするということはしていませんでした。一ヶ月に使えるお金が一万円程度だったのでその範囲で遊んでいました。食費とかも削ってましたね。

―さとる選手は『jubeat Qubell』の時にHARDMODEで全曲のスコア埋めをしていたのが印象にありますが。

さとる : 確かにしていましたね。当時は高校3年通った後に退学し浪人していた時でした。とは言っても最初の1年はKACに出場こそしましたけどそれほど沢山遊んでいたわけでもないです。
記憶にあるのは『saucer fulfill』の時に初めてLv10全曲制覇を達成し (最後の1曲は「Ignis Danse」)、その後低難易度埋めも実施しましたが元々自分は難易度が高い曲を遊ぶのが好きなタイプなので、難易度10の理論値埋めを終えたのであればHARDMODEでのスコア埋めしかないなと思ったのが1つの理由です。
また、4thKACで初めてHARDMODEが予選で採用され自分も予選に参加したのですが、上位陣に全く歯が立ちませんでした。その時は愕然とした気持ちがあり、ならHARDMODEを練習して上位陣と互角以上の地力をつけようと思ったのもまた理由の1つです。
ただ、当時はHARDMODEをやってる人はKACの時を除いてはそんなにいなかったと思います。多分ですが一番自分がHARDMODEを沢山やっていた気がします。HARDMODE専用のアカウントを別に作ってLv10埋めをやっていましたし。これも私が一番最初だった記憶があります。
HARDMODEを遊ぶこと自体に追加料金がかかりますし、『jubeat』は判定が甘いからこそ遊んでいるという人たちも多く、レベルも今ほどは高くなかったので浸透していなかった面もあるでしょうね。jubility (自分の実力を示す指針) も上がりませんでしたし。

―『jubeat』を上手くなろうと思ったきっかけはどんなものでしょうか。

さとる : 大したきっかけではありませんが、中学・高校時代に身内の中で音楽ゲームの上手い人といえば自分というアイデンティティを確立したかったからです。
また、『jubeat』を本格的に始めた高校時代の時にスマートフォンも使うようになり、今までは地元のゲーセンの人くらいしか意識しなかったのが、スマートフォンで交流やライバル機能を利用することで自分よりも上手い人が星の数ほどいることに刺激をもらったのも1つの理由です。
そうして環境が変わっても「自分がやっている音ゲーは自分が一番上手くなりたい」という想いがあったので、自分より少しスコアの高い人をライバル登録しては仮想敵扱いしてその人のスコアを超すということを繰り返していました。
当時の自分は幸いにも『jubeat』の才能に恵まれていたと思っていて、その方法でどんどん実力が上がっていき楽しくプレイができ、結果『jubeat』の沼に嵌った形です。
HARDMODEを練習していた時も最初は下手でしたが、やっていく内に上手くなっていって楽しくなっていき、楽しいからもっと遊びたいと思ってさらに練習してまた上手くなってと繰り返しどんどん実力をつけていったのだと思います。

―『jubeat festo』でHARDMODEが常設化され、さとる選手は「1116」をHARDMODEでEXCするなど当時のランカーの中では抜きん出た実力を持っていたと思いますが、その時のモチベーションはどのような感じだったでしょうか。

さとる : この当時は大学生で時間もお金もあり、趣味が『jubeat』以外ないし楽しいから遊ぶ以上のモチベーションはありませんでした。
一応HARDMODEの全国1位の楽曲数をCORBY.QS選手と競っていたというモチベーションの源みたいなものはありましたが、あくまで根底にあるのは楽しいから遊ぶというものでした。惰性と言ってもいいかもしれません。

―さとる選手はどうメンタルコントロールをして『jubeat』を上手くなっていきましたか。

さとる : メンタルコントロールはできてないです。それこそ筐体のメンテナンスが悪かったらSNSで愚痴の1つは呟きますし。

―ではそういう不満はプレイして発散していたと。

さとる : そうですね。それに筐体のメンテナンスの話をしましたが地元のゲームセンターであるビーワンは他のゲーセン、それこそ全国どころか韓国のゲームセンターと比べて一番『jubeat』をやる上で良い環境だったと思っています。そのおかげで環境が整った状態でHARDMODEのスコア詰めが出来たのかなと今思い返せばそうなのかとも考えました。

―さとる選手と地元のゲーセンであるビーワンの店員とは仲が良いと聞きましたが。

さとる : そんなに仲が良いわけではないです (笑)。自分が積極的に声をかける性格ではないですから。それにビーワンは格闘ゲームのゲームセンターとしては有名ですが音楽ゲームの聖地というわけではないので、むしろ何故『jubeat』を置いてあったのか不思議でした。
ただ一番通っていた時は週6で行っていたので、親の顔よりも店員の方を見ていたというのは事実です。
それでもKACに出た時は声をかけてもらったりして、積極的にお互い干渉はしないけど一人の店員と客というのとはまた違う、不思議な関係を築いていたのかもしれません。

個人部門で優勝してホッとした

―話は変わってKACのことになりますが、さとる選手がKAC初出場したのが5thKACの時だったと思いますが、決勝戦でCORBY.QS選手と一騎打ちになった際「Crack Traxxxx」で非常にスコアが振るわなかったのが印象的でした。あれはどのようなことがあったのでしょうか。

さとる : 言い訳をするわけではありませんが、あの時「Crack Traxxxx」は殆ど練習していませんでした。一回EXCを出してそれっきりといった状態でした。
今となってはそんなことあり得ないと思うのですが、当時の自分は『jubeat』初出の曲以外は大会でプレイすることはないと本気で思っていました。
なので「Crack Traxxxx」が選出された時に当時の自分はとても驚いていましたし、同時に出来るわけがないとその時点で理解していました。練習していないのですから当然です。

―5thKACの配信のアーカイブを見ても悔しそうな表情が印象的でした。

さとる : それはプレイが不甲斐なかったというより、自分の見立ての甘さを実感してのことですね。

―そこからさとる選手はKACにずっと出場し続け、7thKACの団体部門で初優勝を飾ることになりすが、初優勝の時はどんな気持ちでしたか。

さとる : 嬉しいは嬉しかったですが、自分自身は個人戦に重きをおいているので複雑な気持ちもありました。団体戦は自分一人の力で勝つというものではありません。
自分はあくまで「KACで優勝」を目標にしているのではなく「個人戦で優勝」を目標に掲げていたので、団体部門の優勝で満足するということはありませんでした。

―そうして次の8thKACの個人戦部門で優勝することになりますが、その時の気持ちはどうでしたか。

さとる : もちろん嬉しいは嬉しかったですが、それ以上に安堵したという気持ちが強かったです。『jubeat』における唯一の夢であったKAC個人部門での優勝を成し遂げることができて、これでいつ『jubeat』を辞めても未練が無い状態になれたので。
それこそ中学生時代から大学生時代の大半を捧げて打ち込んだものに1つの結果が出たわけですし、例えるならいつまでたってもEXCが出ない譜面がようやくEXCが出て安堵した気持ちにも似ているかもしれませんね。
自分は『jubeat』の才能はあると思っていましたが、それでも大会で優勝するまで長かったですし。

―その後もKACには出場し続け、10thでは再度個人部門で優勝していますがその時はどのような気持ちでKACに挑んでいたのでしょうか。

さとる : 別に特別なものはありません。とりあえずKACに出場できるなら出場するくらいの気持ちです。
そもそも大会が終わっても特定の楽曲をHARDMODEでEXCを出すというマクロな目標は沢山ありましたし、それのついでにKACも出るという小さな目標の1つになっただけです。
それにKACで優勝したからと言って『jubeat』が面白いというのは変わらなかったですし、まだ大学時代で暇もありましたから。惰性といえば惰性ですが、もういいやとも思わなかったので出場し続けたという形です。

―では今後のKACも出るつもりはあると。

さとる : 出たいという気持ちはあります。今後は仕事の関係上難しくなる可能性はありますが。

―さとる選手といえば10thKACや11thKACの予選の時にギリギリまでスコアを登録せず、予選締め切り直前でトップクラスのスコアを出して予選を通過するインパクトを残しているのですが、これは作戦等の何か理由があったのでしょうか。

さとる : 10thの時は自分では普通に予選に挑んでいたので記憶にないのですが、11thKACの時は途中まで出場自体するつもりがなかったからです。
理由として、11thKACの本番が土曜日だったのですが前日の金曜が夜遅くまで仕事があり、日曜も朝早くから仕事がある状態で多忙だったためです。
また『jubeat』自体のモチベーションも低かったので出ても勝てないと思っていました。
ただ予選終了5日前に、SNSで「今からKACに出るなら死ぬ気で詰めないと駄目だけどどうしようか」と呟きました。今思えば誰かに背中を押してもらいたくてそう呟いたのだと思います。
結果、何人ものフォロワーや知り合いに「頑張って出て欲しい」と励まされ、出場を決意しました。
ようは出場するとなった場合プレイ時間などの都合上デッドラインが5日前であり、そこからスコア詰めを開始してギリギリになっただけであり、そこに深い意図とかはありません。

―その後スコア詰めをして一気に予選を通過するまでやったと思うのですが、時間的にはどれくらいかけたのでしょうか。

さとる : 仕事しながらだったのでそこまで多くの時間はかけていません。とは言っても1つの譜面に100回以上はプレイしました。HAZARD (一定回数ミスをしたりすると曲が終了するオプション) を使い数の暴力で突破しました。
もしもっと日数があればスコアももっと高かったと思いますが。

『jubeat』はただの趣味でただのゲーム

―11thKACの決勝では個人部門の優勝者の颯選手や準優勝のセーラ選手など、新しい世代の選手が出てきたことについて昔からの世代であるさとる選手はどう感じたでしょうか。

さとる : 良かったかなと思います。CORBY.QS選手はフェードアウトしてしまいましたし、私は自分で言うことでもないですが、『jubeat』の界隈を背負っていく選手というには人間性的に違うと思っています。
そういう意味で、二人は自分と違い人間性的にも『jubeat』の実力的にも界隈を背負えるだけのポテンシャルは持っていると思うので、その点は良かったと感じています。

―今回の大会のインタビュー時に「自分を超えるようなプレイヤーが出てこないと『jubeat』の未来は暗い」と仰っていましたが、さとる選手から見て自分より上手いプレイヤーはどれくらいいると思っていますか。

さとる : 今のプレイヤーを殆ど知らないので、自分より上手いプレイヤーがいるのかどうかもわかりません。
正直颯選手以外は自分は知りませんし、颯選手以外自分より上手いプレイヤーもいないかなと思っています。
「私達くらいには勝ってもらわないと困る」とインタビューで言いましたが、勝ってもなお『jubeat』の未来は暗いかなと思っています。
界隈を盛り上げるには上手い人が一人だけいても駄目だと思います。私が最前線の時はCORBY.QS選手と自分で2強だよねと言われていたのですが、実際はそうではなく他の人も十分戦える、いわば群雄割拠の状態になっていました。
ただ今の状態はその時現役だった人たちは大体フェードアウトしていて、颯選手の1強になっていると思います。
もちろん颯選手自体は実力も人間性も十分兼ね備えているとは思いますが、そういった選手が1人だけでは視聴者的にはエンタメ要素が薄くなってしまい興味を持ちづらいと考えています。
例外として、『ポップンミュージック』のTATSU選手ほど突き抜ければそれはそれでエンタメ要素が強くなり面白いとは思いますが、颯選手はそこまでではないですし第一『jubeat』のゲーム性的に突き抜ける選手が出る構造になっていません。
なのでその状況が続くと『jubeat』は駄目になってしまうのかなと危惧しています。

―さとる選手にとっての『jubeat』とは。

さとる : ただのゲームでただの趣味です。だからこそいつでも辞めれるし、いつでも再開できるし、遊びたい時に遊ぶし、遊びたくない時には遊びません。
これは横道に逸れるのですが、「BEMANI PRO LEAGUE」に『jubeat』が参戦して欲しいという意見を聞きますけど、私は参戦して欲しいと全く考えていません。
もちろん、「BEMANI PRO LEAGUE」に『jubeat』が参戦すれば盛り上がるでしょうし、それはそれでいいとは思うのですが、自分はプロ選手になる気は一切ありません。そういう姿になることも全く想像つきません。
「好きを仕事にするのはよくない」と言われますが、自分にとっての『jubeat』はまさにそうで、軽い気持ちで遊ぶものこそゲームであると自負しています。
なので、『jubeat』を副業にするということは自分の『jubeat』の楽しみ方とはズレますし、「BEMANI PRO LEAGUE」の話にはついていけないと思っています。
なので「自分にとっての『jubeat』とは」という質問もただのゲームである以上の回答はないですし、ただのゲームであるからこそよいものだと思っています。
また、色んな有志の方々が『jubeat』を盛り上げようとしていることは応援したいと思いますし、尊いことだと思います。その行為自体を否定する気は全くありません。
しかし、公式の働きが弱く結果『jubeat』が廃れるのであればそれはそれで仕方ないでしょうしなくなるならなくなるで問題ありません。
自分は良くも悪くも『jubeat』に特別な価値を見出したくないと考えていて、あくまでも気軽に適当に遊びたい。そんな存在でいて欲しいと思っています。
もちろん内心はいつまでも続いて欲しいとは考えますが、そのために自分から行動を起こそうとか自然の摂理 (流れ) に逆らってまで頑張ろうという発想には至りません。
もっとフラットな関係性でいたいというのが自分と『jubeat』との付き合い方です。

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